2020年12月22日
「本当」の居場所
14年前の2006年に「琉球新報社(落ち穂欄)」で「本当」の居場所というエッセイを書いたことがあります(風のうた保育園HP園長のお部屋第3回)
そこには、子どもが信じている世界(想い)を大人が大人目線で組み替えていないか?という内容が書かれています。
(4歳まで集団生活をしたことが無い)4歳児K君が、初めて保育園の門をくぐった日の事です。「お母さんはどこにも行かない!僕を置いてどこにも行かない!!」と泣きじゃくっている際に、「お母さんはここ(保育園)にはもういないよ。お仕事へ行ったよ」と真実を話し慰めるところから話が始まります。
ところが4歳のK君は「お母さんは一度だって僕を置いてけぼりにしなかった。だから保育園の外に居るんだ。絶対に居るんだ」というK君の真実を主張し、泣きじゃくります。
大人は「仕事から帰ってきたらすぐに迎えに来るよ。今はいないから、待っていようね」と真実(本当)を伝えます。
K君の「本当(真実)」と大人の「本当(真実)」は大きく異なっています。そこで私は「それでは探しに行こうか?」と提案し、K君の真実(本当)を採用することにしました。ひとしきり探した後、公道でK君が大好きな自動車の名前を当てゲームをしました。
K君の気持ちが穏やかになったとき、「お母さんはやっぱりいないけれど、お母さんは何て言ってたの?」と聞いてみました。するとK君は「お母さんは御用があるから保育園で待っててね。御用が住んだら保育園に迎えに行くね!と言ってたよ」と朝のお約束を思い出し私に告げました。
私は「そうなんだ。どうする?」と尋ねます。K君はしばらく考えて「お母さんはここにはいない。そうか保育園で待ってないとお母さんが心配する」と私の手を引いて保育園へ向かいました。そして自ら靴を脱ぎ、積み木コーナーで遊び始めました。
その時、K君の「真実(本当)」と大人の「真実(本当)」が一致しました。・・・という内容です。(風のうた保育園HPで読んでみてください)
昨日書いた「サンタさんと会ったよ」のA子ちゃんも本当にサンタさんと会ったのです。誰がなんて言ったってサンタさんの後ろ姿を見たのです。
A子ちゃんにとってはそれが真実(本当)なんです。

大人の真実(本当)は、「きっと夢ね。」「夢を錯覚しているんだわ。」「やっぱり子どもね」・・・となるかもしれません。
大人にとっては「お母さんの側を通って見えないなんてないわ」「小さい穴に吸い込まれるなんて非現実的ね」かもしれません。「あっそう、子どもの夢は大切にしなくちゃね。合わせておこうかな」となるかもしれません。
A子さんのお母さんはこう言っています「「本当に居たかどうかなんて関係ありません。そんなことよりA子は憧れのサンタさんに会えた喜びで胸がいっぱいなんです。そのことを一緒に喜んであげたいんだよ。そう!!A子はサンタさんの後ろ姿感動し、お母さんに気付かれないか?と心配し、小さな穴から大きなお腹がヒューと小さくなってお空に吸い込まれていった驚きでドキドキワクワクしています。ホントに良かったなぁ~会えてよかったなぁ~」
「本当」の居場所は、どこにあるのでしょうか?
ニール・ドナルド・ウォシュは、「あなたの中にある真実以外に真実はない。」と言っています。
K君の「お母さんが僕をおいていくわけがない」もA子ちゃんの「サンタさんを見たよ(会ったよ)」も、K君の真実でありA子ちゃんの本当なのです。どんなに大人が「違う」と諭しても、K君A子ちゃんの「真実」が変わらない限り、そうなのです。
K君は、朝のお母さんとの会話を思い出し「あーそんなんだ、お母さんは御用があってここには居ない」となったとき、大人の真実とK君の真実が一致しました。
また、A子ちゃんのお母さんはA子ちゃんの「本当(会った事)」を大切にし、「あ~お母さんも会いたかったなぁ」と気持ちを伝えています。
※A子ちゃんは、中学生になったとき、ふと思い出し「あれって夢だったのかぁ~」とつぶやいたそうです。
「本当」の居場所はどこだろう?自分の中の「本当」を押し付けていないだろうか?自分の中の解釈だけで「本当」を押し付けていないだろうか?
寄り添うことが大事であることは頭の中では知っている。子どもたち(他者)は「頭で知っていることことを体験させ考える機会を与えてくれる。」
すべての事に完敗だ!いやいや乾杯だ
トトロや猫バスは、五月やメイにしか見えなかったんです(おまけ)
そこには、子どもが信じている世界(想い)を大人が大人目線で組み替えていないか?という内容が書かれています。
(4歳まで集団生活をしたことが無い)4歳児K君が、初めて保育園の門をくぐった日の事です。「お母さんはどこにも行かない!僕を置いてどこにも行かない!!」と泣きじゃくっている際に、「お母さんはここ(保育園)にはもういないよ。お仕事へ行ったよ」と真実を話し慰めるところから話が始まります。
ところが4歳のK君は「お母さんは一度だって僕を置いてけぼりにしなかった。だから保育園の外に居るんだ。絶対に居るんだ」というK君の真実を主張し、泣きじゃくります。
大人は「仕事から帰ってきたらすぐに迎えに来るよ。今はいないから、待っていようね」と真実(本当)を伝えます。
K君の「本当(真実)」と大人の「本当(真実)」は大きく異なっています。そこで私は「それでは探しに行こうか?」と提案し、K君の真実(本当)を採用することにしました。ひとしきり探した後、公道でK君が大好きな自動車の名前を当てゲームをしました。
K君の気持ちが穏やかになったとき、「お母さんはやっぱりいないけれど、お母さんは何て言ってたの?」と聞いてみました。するとK君は「お母さんは御用があるから保育園で待っててね。御用が住んだら保育園に迎えに行くね!と言ってたよ」と朝のお約束を思い出し私に告げました。
私は「そうなんだ。どうする?」と尋ねます。K君はしばらく考えて「お母さんはここにはいない。そうか保育園で待ってないとお母さんが心配する」と私の手を引いて保育園へ向かいました。そして自ら靴を脱ぎ、積み木コーナーで遊び始めました。
その時、K君の「真実(本当)」と大人の「真実(本当)」が一致しました。・・・という内容です。(風のうた保育園HPで読んでみてください)
昨日書いた「サンタさんと会ったよ」のA子ちゃんも本当にサンタさんと会ったのです。誰がなんて言ったってサンタさんの後ろ姿を見たのです。
A子ちゃんにとってはそれが真実(本当)なんです。

大人の真実(本当)は、「きっと夢ね。」「夢を錯覚しているんだわ。」「やっぱり子どもね」・・・となるかもしれません。
大人にとっては「お母さんの側を通って見えないなんてないわ」「小さい穴に吸い込まれるなんて非現実的ね」かもしれません。「あっそう、子どもの夢は大切にしなくちゃね。合わせておこうかな」となるかもしれません。
A子さんのお母さんはこう言っています「「本当に居たかどうかなんて関係ありません。そんなことよりA子は憧れのサンタさんに会えた喜びで胸がいっぱいなんです。そのことを一緒に喜んであげたいんだよ。そう!!A子はサンタさんの後ろ姿感動し、お母さんに気付かれないか?と心配し、小さな穴から大きなお腹がヒューと小さくなってお空に吸い込まれていった驚きでドキドキワクワクしています。ホントに良かったなぁ~会えてよかったなぁ~」
「本当」の居場所は、どこにあるのでしょうか?
ニール・ドナルド・ウォシュは、「あなたの中にある真実以外に真実はない。」と言っています。
K君の「お母さんが僕をおいていくわけがない」もA子ちゃんの「サンタさんを見たよ(会ったよ)」も、K君の真実でありA子ちゃんの本当なのです。どんなに大人が「違う」と諭しても、K君A子ちゃんの「真実」が変わらない限り、そうなのです。
K君は、朝のお母さんとの会話を思い出し「あーそんなんだ、お母さんは御用があってここには居ない」となったとき、大人の真実とK君の真実が一致しました。
また、A子ちゃんのお母さんはA子ちゃんの「本当(会った事)」を大切にし、「あ~お母さんも会いたかったなぁ」と気持ちを伝えています。
※A子ちゃんは、中学生になったとき、ふと思い出し「あれって夢だったのかぁ~」とつぶやいたそうです。
「本当」の居場所はどこだろう?自分の中の「本当」を押し付けていないだろうか?自分の中の解釈だけで「本当」を押し付けていないだろうか?
寄り添うことが大事であることは頭の中では知っている。子どもたち(他者)は「頭で知っていることことを体験させ考える機会を与えてくれる。」
すべての事に完敗だ!いやいや乾杯だ
トトロや猫バスは、五月やメイにしか見えなかったんです(おまけ)
Posted by kazeuta at 18:05│Comments(0)
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